認識の仕方のきっかけ~メタ認知について③~

メタ認知って何?
メタ=高次の、~を超えた
です。

メタ認知とは「高次の認知」
簡単に言えば「一段上から、自分を知っている状態」のことです。

楽しく遊んでいる自分に対して
「楽しいのは分かるけど、宿題やらなくていいの?」とささやいてくる別の自分
これがメタ認知です。

メタ認知それ自体は、自分を別の視点から捉えることができる点で
とても素晴らしい能力です。

けれど、メタちゃんが発達しすぎると
自分の想定・推測・憶測…これらに縛り付けられてしまい
苦しさ、不安から自由になるのが難しくなってしまいます。


私自身、このメタ認知がとても発達していて
誰・何がどうこうではなく
自分で自分を縛り付けていました。

そのなかで内省し、少しずつ分かってきたことを
シェアしていきたいと思います。

メタ認知が発達しすぎてしまったワケ~私の場合~
私は、「世の中」=怖い
とずっと感じていました。

別に「世の中さん」というコミュニケーション可能な存在がいるわけでもないのに
自分で勝手に、広範な世界の一部分を切り取って「世の中」と認識して
勝手に怖い、と感じていたのです。

その始まりは、どこにあったのでしょう?

どうも、私の場合は「大人」との関わりに、鍵がありそうでした。

大して話をしたわけでもない人がいて
(だって、幼すぎてまともに話すことすらままならなかったから)
幼いながらに
「きっと、こうなのだろうな」と表層だけを捉えて、判断した。
その人たちの真意なんて、私には分かりっこないのに。

「きっとこうなのだろうな」と、勝手に捉えて判断する。
真意が分からないのに、関わる前から決めつける。

ずっとやっていた。何なら、今も。

幼少期の考え方・行動の仕方が、そのまま30年近く、根付いていたのです。
何なら30年のなかで、ものすごく洗練されてきたでしょう。

会話がままならなかった幼少期は仕方なかったかもしれない。
けれど、今は話ができる。

確かに、どんなに話し合ったところで、すべてを分かることは不可能です。
けれど、分かり合おうと、お互いに歩み寄ることはできます。

私はもう、あの頃とは違います。
大人と、おしゃべりができなくて、どうしていいか分からなかった幼少期とは違います。
あの頃の考え方…というより、その根っこにある恐怖はもう、手放してよいのです。

ちゃんと、話せるから。
そして言葉を交わすことの大切さを、私はずっと学んできたから。
だからもう、大丈夫なのです。
皆さんはどうでしょう?
皆さんはどうですか?
メタちゃんは、いつから、何をきっかけに発達したのでしょう?
その奥にある感情(恐怖、悲しみ、怒り…どんなものかは人それぞれです)は、何でしょう?
それは、今のあなたにも必要なものでしょうか?

ゆっくり、美味しい紅茶でも飲みながら、メタちゃんに聞いてみてあげてください。

ここまで読んでくださり、ありがとうございました(*^^*)

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